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仙台地方裁判所 昭和61年(ワ)1128号 判決

反訴原告

甲野太郎(仮名)

反訴被告

乙川冬夫(仮名)

主文

反訴原告の請求を棄却する。

訴訟費用は反訴原告の負担とする。

事実

〔以下反訴原告、反訴被告を単に原告、被告という。〕

(申立)

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し四四万三八〇〇円及びこれに対する昭和六一年一〇月三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行宣言を求め、被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求めた。

(主張)

第一  原告訴訟代理人は反訴請求の原因として次のとおり述べた。

一  昭和六一年七月二二日午前八時二〇分頃、仙台市中野神明一三五番地の一先路上において、交通渋滞により停止中であつた原告運転の車両(宮五七 一三六二号)に続いて停止した被告運転の車両(宮五六 一四〇七号)が発進して追突する事故が発生した。右事故は被告の停止中の車両操作の過誤によるものである。

二  原告は本件事故により頸部、腰部捻挫の傷害を受け、その車両の後部が小破し、以下の損害を蒙つた。

1 治療費 八万二六八〇円

昭和六一年七月二二日から同年八月七日まで関口医院にて通院加療を受けた際の治療費(実通院日数一五日)

2 通院慰謝料 二〇万円

3 休業損害 四万〇五九〇円

昭和六一年七月二三日から同年八月一〇日まで一八日間勤務先を休んだことによる現実の減収額(一日当り二二五五円)

4 車両修理代 二万〇五三〇円

本件事故により破損したリアバンパーの修理代

5 弁護士費用 一〇万円

本件訴訟(本訴に対する応訴、反訴の提起追行)を委任するに要した費用

よつて、原告は被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として四四万三八〇〇円及びこれに対する履行期の後にして反訴状送達の日の翌日である昭和六一年一〇月三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第二  被告訴訟代理人は請求の原因に対する認否として次のとおり述べた。

反訴請求原因一の事実は認める。同二の事実は不知。

(証拠)〔略〕

理由

一  反訴請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

二  成立に争いのない甲第三、第四号証、方式及び趣旨によつて成立を認めることのできる乙第三号証によれば、原告は本件事故当日である昭和六一年七月二二日関口医院において医師門口澄雄から頸部捻挫の診断を受け、その後同年八月七日まで同医院において治療を受けた(その間腰部捻挫の病名も加えられた。)ことが認められる。

三  ところで、成立に争いのない甲第四、第五号証、第六号証の一ないし四、方式及び趣旨により成立の認められる乙第三号証、証人阿部好典の証言及びこれによつて成立の認められる甲第一二号証、原告及び被告の各本人尋問の結果によると、

1  本件事故の態様は、交通渋滞のため停止していた原告車両の後方約二・四メートルの地点で被告が続いて停止した際(被告運転車両はオートマチツク車である)、自動変速機の位置をドライブ位置に置き、ブレーキペダルを踏んでいたが、ブレーキを踏む足が疎かになり、いわゆるクリープ効果のために車が前進して追突したものであり、このような場合の速度は、後日検察庁及び大成火災海上保険株式会社仙台支店(以下保険会社という。)がそれぞれ実験した結果では時速四キロメートル位であつた。

2  事故当日の昭和六一年七月二二日午前一一時三〇分頃から約一五分間仙台東警察署の警察官が事故現場において実況見分を行なつたが、その結果、被告車両の前部バンパー付近には衝突の痕跡が認められず、原告車両は後部バンパーの右端から七〇センチメートル位の個所でそのゴムが少し凹んでいる程度であり、同月二四日保険会社の職員阿部好典が撮影した写真を見てもその痕跡を認めえないこと、被告車両の前部に損傷はなく、原告車両の方は上方から撮影した写真によつてはじめて右凹みが認められる程度である。

3  同月二九日原告は自宅に調査に来た右阿部好典に対し、衝突時追突されたという感じは持つたが、特に首の前後動は感じなかつた旨述べ、また追突に起因する車両損傷の個所を前示写真を示されて尋ねられても、その個所を指摘することができず、わからないと答えるのみであつた。

4  事故直後原告は父親に電話をし、約一時間して父親が現場に到着したが、その頃になつて原告は初めて首の痛みと吐き気を訴え始めた。また、原告の父親は過去に三回も交通事故に遭い、その都度むちうち症の症状があるとして前記関口医院で治療を受けたことがある。

5  診療録の原告の症状の記載は、七月二二日頸部痛・吐気、二三日左肩疼痛、二五日腰部痛、二六日左胸疼痛と日ごとにその症状が拡がつているが、頸部及び腰部を撮影したレントゲン写真では異常所見は認められず、さしたる他覚的所見もみられない。

との各事実を認めることができる。

四  右に加えて、方式及び趣旨並びに弁論の全趣旨によつて成立を認めることのできる甲第一一号証によると、

1  被告車両の追突速度を時速四キロメートルとして力学計算したところによると、本件事故によつて原告車両に発生した衝撃加速度は〇・四g(gは重力加速度)と推定されるが、これは一般のドライバーが日常極く当たり前に経験しているレベルのものである。

2  メルツ及びパトリツクによる頸椎捻挫の実験(SAE paper710855)によると頭部の胴体に対する屈曲角の静的限界値は後屈六〇度、頭蓋骨と頸椎との関節部に働くトルク(回転力)の無傷限界値は後屈85ft-lbとされているが、本件事故における衝撃加速度を〇・四gとすると原告の頸部の後屈角度は九度であつて、過後屈になるまでにはなお五一度の余裕があり、また頸部の負荷トルクは1.5ft-lbであつて無傷限界値の二三分の一に過ぎない。

3  三重大学の鏡友雄医師による追突係数(被突車の有効衝突速度に同じ)を用いた「鞭打ち損傷の発生に対する事故車両の重量と速度の力学的関係」と題する研究(「脳と神経」二〇巻四号)によれば、その鞭打ち症受傷限界値は一五とされているところ、本件の場合は二・四と限界値の六分の一である。

ことが認められる。

五  前記三に認定した本件事故の態様、本件事故による事故当事者の車両の損傷の状況及び関口医師の原告に対する診療の経過内容に右四の鑑定の結果を対比して彼此検討するに、原告が本件事故によつて頸椎捻挫及び腰椎捻挫を負つたとの心証を得るに至らない。叙上認定の事実関係に照らすと、関口医師の診断は、原告が頸椎捻挫を受けるほどの衝撃を伴う追突事故に遭つたことを当然の前提として、その主訴に基づいてなされたもので、他覚的症状に依拠してなされたものと解することはできないから、本件受傷の証左とすることはできない。また原告本人尋問の結果及びこれによつて成立を認めることのできる乙第二号証によると、原告はその車両のリアバンパーの取換等を行ない、その費用として二万〇五三〇円を要したことは認められるが、本件事故による原告車両の損傷は前記三の2に認定したとおりであつて、リアバンパーの凹はごく僅かであり、取換を必要とする程度のものとは認められないから、右支出をもつて本件事故による損害と認めることはできない。

以上のとおりであつて原告の反訴請求は理由がないから、その余の主張に対する判断をするまでもなくこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮村素之)

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